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図1 正倉院御物 蘭奢待 |
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図2
香合せ覚書 徳川家康筆 |
徳川家康が記した備忘録で、薫物に用いた
香料の調合の覚え。特に「きやらあぶら合」
と題するこの覚えは、配合具合からも「伽羅
油」つまり整髪料についてのものと考えられ
ている。 |
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図3
坊津歴史資料センター輝津館(きしんかん) |
室町時代以降になると、それまでの平安貴族文化から、武家社会中心の文化に移行していきます。そのなかから能や茶道、華道などの芸道が誕生しますが、香
道もそうした一つとしてこの時期に確立されました。そのため、有名武将の多く
が香木を競って集めていたということです。
奈良東大寺の正倉院に保存されている香木(沈香)に「蘭奢待」(図1)という銘を持つものがあります。現在この香木には、足利義政、織田信長、明治天皇
が裁断した跡が残されています。
蘭奢待(らんじゃたい)」には、「猛々しくおごった侍がかならず欲しがる」という意味が込められているといいます。そして、蘭の字に「東」、奢の字
に「大」、待の字に「寺」が隠されていて合わせて東大寺を表してもいます。
以前のNHKの大河ドラマ『秀吉』で、本能寺の変の直前に、織田信長から譲り受けた蘭奢待を利休が返そうとすると、信長は「秀吉の茶室で焚くように」と
言う場面がありました。これは、次の天下人に秀吉がふさわしいことを蘭奢待をとおして暗示しています。徳川家康も無類の香木好きで、蘭奢待を手に入れたと
もいわれています。また沈香を求めて、特産地の奇楠(今のベトナム)などの南方諸国との交易を開いたといいます。現在でも名古屋市の徳川美術館には徳川家
伝来の香木や香道具類が多く残されています(図2)。
また今年NHKの大河ドラマ『篤姫』の第11回でも、香道のシーンがありました。西郷吉之助や大久保正助らが香席に参加している場面はなかなか興味深い
ものがありました。
香木はベトナムなどの東南アジア原産で、長崎の出島など限られたところにしか入ってこなかったのですが、薩摩藩は琉球との密貿易を通して伽羅などの高価な
香木が、入ってきたらしく、香道をたしなむ人も多かったといわれています。現在の南さつま市、坊津(ぼうのつ)町は、海の玄関口として国内外に知られて
いました。ここは海外の貿易や漁業で栄えたところといいます。753年仏教の戒律を伝えるためにこの地に着いた中国の高僧鑑真は、香りを楽しむ香の専門知
識も伝えたといわれています。
また坊津歴史資料センター輝津館(きしんかん)(図3)蔵の鳥原家「家伝由緒書」(安政二年)によりますと、坊津の商人が沈香を島津家へ用立てたという記
録が残されています。
こうしたことからも、良い香りの香木を持っていることが、武将としてのステイタスシンボルであり、珍重されていたことがうかがわれます。
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